1963(昭和38)年4月17日(水) 小金井手帳9
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これも話はややさかのぼるが小金井警察署桜町駐在所の今川武司巡査は、去年の十一月に警視総監賞を受けた次第を聞いて、わたしは感動した。
三年前に渋谷署から転勤してきて間もなく、受持区域の関野町に、三度の食事もこと欠くあわれな母子を、今川巡査は見つけた。
神田の運送店に勤めていた父親は、重い荷物で足首を痛めて休みはじめてからというもの、何をするでもなく、競馬や競輪に明けくれていた。
今川巡査は父親をよんで説得し、家族がかわいそうなので、米や金を持たせてやった。「ぼくが保証人になるから‥‥」と、小金井の工場や港区の製本屋に仕事を見つけてやった。が、一たん身にしみたなまけ癖はなおらなかった。「わたしはだめです」と、頭をさげて来た。その度に三百円・五百円と黙って渡し続けた。
ところが、去年の八月に彼は痔を悪くし、民生保護を受けて入院した。その間に、これまで妻子をかえりみなかった自分を反省したらしい。三か月ほどで退院すると、さっそく自分で杉並区のアメ工場に職を見つけ誰より先に喜んでもらおうと、駐在所にとんで来た。「おお、よかった。よかった。」更生へ出発のはなむけにと、三十七才の彼に電車賃を渡すことを、今川巡査は忘れなかった。
感激した彼は一心に手紙を綴って警察庁に出した。そのことから、どん底にあえぐ一家を励まし続け、二年半にわたって何くれとなく面倒をみてきたことがあかるみに出たのであった。
「なまけ癖は心の病気ですよ。病人が回復して喜んでおります。」
それが賞状をもらった三十九才の今川巡査の言葉であったとか。その徳生は生来であってもこの一言を裏づけるものは現代の精神医学であろう。
「悪いやつにも金を貸し、決して怒ったことがない」といわれる今川巡査には、世に知られない美しい行為のかずかずがあった。たとえば、交番専門の寸借詐欺で五百円をせしめたものの今川巡査の顔を思い起こして横浜の警察署に自首して出た男があった。また、二百円を借りたうえ今川巡査の名刺を悪用した大学生が、良心の呵責から縫い針三十六本をのんで自殺を図ったこともあるという。
職掌がら、こういった行為は今川巡査に限ったことではなく警察官として当然だという声があるかもしれないが、
「金を借りていったやつは、ほとんどがナシのつぶてだよ。でも、それでさ。借りたときは心からうれしかったにちがいないからね」とさりげなくいったという今川巡査の言葉は、私には聖書のようにけだかく、詩のように美しいものに思われた。
いうところの美談や善行は、えてして悲劇や哀話を背景にもつ場合が多いが、そこに今日の人間生活の実態があり、それがどんなに大きな救いになり世の中を明るいものにしているかは、あえて善意銀行をあげるまでもあるまい。
先日、所用で市役所への途すがら警察署の前を通ると、地上三階の庁舎の鉄筋工事がかなりはかどって、まっかに錆止めを塗った鉄の窓わくのはめこみもあらかたすまされていた。これが竣工したら、二百㍍ばかり北の位置にこれも目下工事中の円形の公会堂とならんで、われわれの生活に多いに役立ってくれるであろう。
構内の桜は折からの陽気に明るく白くほころびそめていた。
ー一九六三・四・三ー
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