1963(昭和38)年9月14日(土) 「くぐなり」への手紙6
〔その六〕
第四信で「メモ風のほんの数行のきれぎれが……」と書きましたが、かつて鈴木三重吉先生が主宰していた「赤い鳥」では誌代を送る振替用紙の通信欄にスペースをとって、家庭でのこどもの言動などを知らせるように、読者に求めていました。あるとき、私も長女のことを書いて送りました。
祖母が菊を活ける前に、切口を火鉢の火で焼いているのを二つになる玲子が見て、びっくりしたように「はな、あっついって」と、祖母の手をぐいぐい引っ張りました。
ただこれだけのものです。このあいだ、押入を探すと、これは前年の晩秋か初冬のことでしょう。二つは数え年です。
一年生に入学した子供に「空気はどこにある?」と聞きましたら「自転車屋に」と答えました。
これは京都の人の通信で、昭和七年の八月号にのっていました。
こんなことはどこにでもよくある情景で、一見つまらないことのようですが、心理学とか言語学とかいう、しかつめらしいお談議はぬきにしても、ほほえましい話にはちがいありません。
また、ある号には筆者の名はなくて、次のような笑話がのっていました。
お父さんー学校の方はどうかね。
子どもーとてもいいところにいるの。
お父さんーほほう、すてきなだな。一ばんかい。
子どもーううん、ずっとうしろで、ストーブのところにいるの。
多ぜいの中には、当意即妙、なかなか機知に富んだ人やユーモラスな人がいるはずです。あまりあくどいのや変なだじゃれは困るにしても、罪のない、おのずと笑いを誘うようなものはわれわれの生活に潤滑性の役目を果たしてくれるし、家庭に明るい笑いをもたらすでしょう。ではかいより始めよといわれても、私にはできそうもありませんが。
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くぐなり浜について、先般、斎藤校長先生からお手紙をいただきました。長さは約一八五㍍だが、鳴り砂の部分は一〇〇㍍足らずで、奥行は深いところで三二㍍ばかりとのことでした。南の方に多くの岩や石が露出していたことは、私の記憶にもよみがえってきました。それやこれやと考えあわせて、拙作はそのまま「二〇〇メートルばかり……」にしておこうと思います。
道らしい道もないところを、大初平の佐藤国之助が調べてくださった由、ありがとうございました。
―一九六三・八・一七―
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