麝香あげは 水上不二
鉄の扉に榠子が咲いた、
麝香あげはがひらひらしていた。
青くけぶった香炉のかげに、
波斯猫だかひっそりしてた。
いつかみんなで柱にかけた、
銀の十字架がきらきらしてた。
昼の日なかにおあかり献げて、
神父さまだか、おいのりしてた。
鉄の扉に榠子が咲いた、
麝香あげはがひらひらしていた。
【感想】
○語意
①麝香(じゃこう)あげは(黒いアゲハチョウ)
②榠子(しごみ)(カリンだと思われる。十月ぐらいに花をつける。ピンクの花)
③青くけぶった香炉(香が焚かれている)
④波斯猫(ペルシャ猫)
⑤柱にかけた十字架(キリスト教を象徴する十字形の印。贖罪 (しょくざい) の犠牲、罪や死に対する勝利、また苦難を表す。罪の意識や課せられた苦難などをたとえていう語。)
⑥神父さまだか(教会の中でしょうか)
○教会外、門の無機質な鉄の扉。ピンクのカリンの花と香り、緑の葉。その花に誘われて黒い麝香あげはがゆったりと飛んでいる。教会の中には青い香炉の煙が漂っている。銀色の十字架がかけられた柱。
ペルシャ猫がゆったりと横たわっている。神父様のお祈りの声が響いている、という情景だろうか。
○教会の中と外。一連と五連で外の「鉄の扉にカリン」と「麝香あげはがひらひら」が繰り返されている。色彩はどうか。外の茶、ピンク、緑、黒。教会の中は青、銀、白。世界を分けているのだろうか。
○「十字架」はクリスチャンを意味しているのだろうか。不二がクリスチャンだったということはわからない。必ずしも原体験だったとは限らない。「いつかみんなで柱にかけた」というのは、何人かで礼拝に来ていたということだろうか。家族、友人と一緒に来ていた。「いつか」とは、もう随分前のこと。時間の経過。久しぶりに訪れた教会。時間が止まっていたように変わらない香炉の紫煙、ひっそりしている猫、銀色の十字架、神父様の祈りが変わらずに続く世界を表現しているようだ。
「鉄の扉」は外と内とを隔てるもの。内は変わらない世界。とすると外は変化する世界か。カリンの花が「咲いている」、麝香あげはが「ひらひら」と絶えず動いている。花の蜜を求めて飛ぶ蝶。一連と五連で繰り返される言葉は、読者を注目させたいという意図であるなら、花と蝶という優しい言葉ではあるが、秘めた思いを感じる。視線の主が作者とは限らない。友人かも知れないし、全く見知らぬ人かも知れない。でも、「いつかみんなで柱にかけた」みんなのうちの一人だと考えるのが自然だ。
○一連と五連の繰り返しについては先に指摘したが、すべての連で「してた」と脚韻が用いられている。「昆虫列車」同様「七七音」のリズムである。さらに「ひらひら」「きらきら」「ひっそり」と擬音語、擬態語を用いるなど、より印象を強めている。弾むようなリズムではないが、静かな、穏やかな作者の意志を感じる。
ところで、神父様というと「巽聖歌」を思う。中野区立中央図書館が二〇一三年「巽聖歌と新美南吉」という企画展をしたときの資料に「聖歌は郷里・岩手県の日詰教会の牧師とともに、福岡県久留米市の教会へ家庭教師として赴任したことがあり、キリスト教にも理解が深かった。」という記述を思い出した
コメント