1963(昭和38)年4月18日(木) 小金井手帳⑩
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昭和二十五年の七草の日にこの家にこして来てからというもの毎年三月の半ばを過ぎると、ひばりは陽春を告げる鳥で、にぎやかなさえずりがほとんど一日じゅうまぶしい空から降りこぼれて来た。
ある朝、春さきの空にはじめてひばりの声を聞いたときの喜びはたとえようがなく。まごうことなく春だなと、つい庭先にたたずんで、文字どおり天来の妙音に心をはずませるのが常であった。
それが、今年は彼岸どころか三月がみんなになっても、ちっとも声がしないので、冬の異常寒波のせいだろうと思っていた。ところが、これはとんでもない思い違いで、なんの今年に限ったことか、どうやら二~三年前かららしいと気がつき、今さらのように自分に言いきかせねばならなかった。というのは、前は五百㍍くらい先まで一面の農地だったのがぽつぽつと家が建ちはじめ、すぐ五十㍍ばかりのところで完全に視野をさえぎられたのは、一昨年あたりからだである。
もっとも、いくらかの空地はまだ残っているが、こうちぎれちぎれになり、麦畑などもなくなったのでは、虫を捕る空間は(ジェット機などの爆音におびやかされながらも)無限にあるにしても、ひばりも住みつけなくなったのであろう。花のおそい庭のヤマザクラが若葉といっしょにつぼみを見せ、レンギョウは金にハタンキョウは白く咲きこぼれたが、そして近所のソメイヨシノはたけなわだが、ぼうとすんだまぶしい空を仰いでも、もはやひばりの声は望めそうもない。
春を告げる鳥といえば、数年前までは、ひばりより先にうぐいすの声を聞いて春の来る歓びに心をときめかせものだが、これもすっかり声が絶えた。あたりの状況は変わっても、隣の庭はもとのままに木立が茂っているので、今年こそはと耳をそばだてたが、とうとう聞かずじまいであった。
これもつまりは人家がふえるためで、小金井にはまたも団地ができるというから、家に困っている人たちにそれだけの住居が与えられるのは喜ばしいことだが、一方で、自然の景物が日に日に失われていくのは、誰にとってもさびしいことにちがいあるまい。
「静かな所に住みたいから小金井にこしてきたのに、こんなことでは意味がない。」
ある人は、そういってこぼしてたというが、それにも一理はあるだろう。
私の小さな庭にも、たまに名も知らない小鳥がとんでくることがあるが、ふるまいがいかにもあわただしく、心なしか何かにおびえているようで、洗濯物のそよぎにも、すぐに飛び去ってしまう。
小鳥といえば、武蔵野郷土館のある小金井公園の附近には、秋もやや深くなると、ウグイス・メジロ・ヤマガラ・コガラといったいろいろの野鳥がやってくるとかで、現に私もその禁断の幾ひきかがもち竿で捕らえられたのを目撃したが、こうしたこともあと幾年くらい続くものだろうと、肌寒い思いがした。
八王子のむこうの高尾山は野鳥の楽園だというが、せめてこうした一角を永久に残したいのはすべての人の願いであり祈りでもあろう。
気仙沼ではインカ少年隊が、志津川では愛鳥会が、小鳥を観察したり巣箱をかけたりなど、保護と増殖にささげているというが、その活動に感謝し成果に期待して止まない。
亀山の周辺は禁猟区とのこと、木椅子に腰をおろし、小鳥の声を聴き、路傍の木にかけられた巣箱に道ゆく人がえさを入れている情景を私は空想したりもする。もっとも、これは亀山に限ったことではないが…。
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