1961(昭和36)年9月3日(日) 小金井手帳5-下
(5)下
あくる三十二年には唐桑中学校と白山小学校の校歌を書いた。三十二年の三月には津谷中学校のができ、九月には作曲をされた東京大学の末広恭雄教授と唐桑を訪れた。
にもかかわらず、大島の記念碑の方はそのままになっていた。碑面の型紙が再三となく送られ、みんなが、殊に小学校の同級生たちが待ち望んでいるという手紙も何度かあったが、依然として気は進まなかった。
年は次々と改まって、昭和も三十六年になった。あれから五年近く月日が流れ去っている。あの石がぶざまに転がっていることを思うと耐え難かった。あのまま放って置いたのでは、何かと世間の口にも上るだろう。大島の人たちにも申しわけがなかった
海はいのちのみなもと、
波はいのちのかがやき、
大島よ、
永遠にみどりの真珠であれ。
どうやら文句はできた。
が、書くのがまたひと苦労だった何枚か書いたが思うようにいかなかった。字配りとか、筆勢とか、全体の調和とか、形の上のこともいろいろあったが、決定的なのは、いかに自分が人間として未熟であるかということであった。「文は人なり。」というが、文字もまたそれであることを、いやというほど思い知らされた。が、何としても書かなければならなかった。私には私なりの文字があるはずであった。よかれあしかれ、それをそのまま書くより外に、それに最善を傾けるより外に、どんなてだてもあるわけがなかった。最後に残った何枚かの中から選んで1枚を送ったのは二月の末か三月の初め頃でもあったろうか。
私の希望をいえば、その性質からして、楽譜の一部を写真版にしてでも碑面に入れることであった。そのことを電話で通したら、芥川氏にも異存がなかった。で、私なりのアイディアを申し送ったはずだが、それがどうなったかについて知るところがない。工事その他の都合で、あるいは省かれたかも分からない。
いうまでもなく、私の願いは亀山自体の美しさやその景観をそこねないことであった。むしろ何かを加えることであった。流行的かどうかは別として、もし大島に詩碑とか歌碑とかを建てるとしたら、落合直文や熊谷武雄に、それにふさわしい作文がないだろうかと考えたりもした。単に大島に生まれたからという理由でならもとより私の出る幕ではないし、校歌制定の記念碑などは、今にして思えば、校庭の然るべき場所に建てても足りるはずであった。
大島はもとより大島のものだが、しかし、大島とか気仙沼とかいった地域の人だけのものではなく、すべての人のものでもあった。常に善良な保護のもとに置かれ、大切にされねばならなかった。私の文字を刻んだ碑が亀山の好適の位置を与えられたことは、たとえば先着順というわけでもあろうか。今に適切な人が現れておまえの役目はすんだと、然るべき処置が講じられる日の到来に期待しよう。
でも、こんなことをいったら
「しっかりしろ、この意気地なしの敗北主義者め!おれたちの気持をどうしてくれるんだ。この碑の存在理由が分からなかったら、分かるようにうんと勉強しろ。」
と、隣人たちにしたたか尻を引っぱたかれるだろうか。
◆
除幕式が行われた十五日付の本紙の一面に、気仙沼図書館に勤務している荒木英夫さんが、五億年前に出現して二畳紀にはいって絶滅した三葉虫というものの頭部と胸部の化石を発見したという記事が載っていた。
また第三面には欧州航路の三原丸で機関部員として働いている西城憲さんが、アフリカ産の鉱石や駝鳥の卵など数十点を志津川小学校に寄付したことが報道されていた。
時にとって、どれも心にひびくニュースであった。
そして十六日付の「万有流転」は、海後宗臣編の“明るい社会・四年上”に気仙沼病院がとりあげられているが、 仝病院が組合病院として発足したのは昭和二十八年二月二十七日であるから、「今から五十年あまり前」という記述には十年もの違いがあることを指摘し、教授に際してあやまりないよう適正な指導を望んでいた。これはいずれ教科書が修正されるだろうが、それにしても、われわれの健康と幸福のために、こうした努力がたゆみなく続けられ、今も為されていることはありがたい限りであった。二、三年前「人生というものは、人間が、死にもまさるような苦しみに堪えてまで生きねばならないほど、それほど価値のあるものなのだろうか。」と、少年の日のように伊藤武氏と語り、笑いあったことがあるが、しかし、こうした人びとの善意にみちた仕事についてきくだけでも、人生は、どんな苦労をしてでも生きるに価する場所であった。
あれから四か月あまり、小田の浜は海水浴の人で賑わい、四年前には一台のオート三輪車が唯一の近代車であった大島にも、バスができハイヤーが走っているという。そのことを芥川さんに話したら、言語に絶する熱風をよそにしてはインドの民族や民族精神は考えられないと車中で語ったあの意欲的な近大音楽家は、今度は何というだろうか。 ー一九六一・八・二一ー
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