1962(昭和37)年10月5日(金) 「くぐなり」への手紙2
〔その二〕
私が少しばかり図書を生徒たちに届けたことが「くぐなり」の四五号と四六号に書かれ、「水上文庫」を設ける予定だとありました。このことでは校長先生からもお便りを頂きましたが、文庫の名はあるいは仮称かと思われます。もしそうだとしたら、中学校に置かれたものと区別する上からも、「くぐなり文庫」とされたらどんなものでしょうか。
もともと私には単行本は数えるほどもないのに絶版や品切のものが多く、十二篇が採録された図書の場合も事情はほぼ同様でしょうから、集めたところでいくらにもなるまいと思われます。
そんな貧しい書架へくぐなりの名を僭称することは深く省みられますがさいわいPTA機関紙の名にもなっているので、これと結びつけてもらえたらと思うのです。
それにしても、同様のものは既に中学校にもあるのに、また設けるなど、屋上屋を架するようにも見えますが、文庫の性質上、小学校にもあった方が便利にちがいないことだから、少しでも役にたつのなら、いささかご恩報じとなりましょうか。とはいっても、全部を私が寄付するわけでもないのに、とやかくとくちばしをいれるのは如何なものですが……。
くぐなりといえば、かつて小学館から郷土に取材した少年詩を頼まれたとき、「クグナリ浜」を書きました。「小学五年生」の昭和二十三年〔一九四八〕六月号でした。表紙うらの四色刷かの絵は桜井悦さんだったでしょうか。編集部のつもりでは、郷土といっても、たとえば私の場合なら、宮城県といった広い地域にわたってのことに違いないから、どこをとっても題材にはこと欠きませんが、あえてくぐなり浜を選んだのには、それなりの理由があってのことでした。そして、作者が男のせいもあってか、一般に男生徒むきの作品が多いので、私は女生徒の側から試みました。あまりよい出来ではありませんが……。
あるけば砂が鳴るのです。
はしれば砂が歌うのです。
ミヤギ県オオシマ村の東の岸、
この二〇〇メートルばかりのクグナリ浜が、世界でもめずらしい場所のひとつなのです。
ゴビさばくでマルコポーロが聞いたたいこの音、
アラビアのさばくのあくまのささやき、
エジプトのシナイ半島のカネガ丘、
砂がことをひくシマネ県のコトガ浜、
ここで海岸線の長さを「二〇〇メートルばかり」としたのは、遠い日のあやしげな目測によるもので、あるいは一五〇メートルぐらいだったかもしれません。(だれか、おおよその数字を教えてくれませんか。)
何しろくぐなり(おとなたちはクゴナキとかクグナキとかよんでいました。)へ行ったのは、後にも先にもただの一度で、どんな動機からだったのも憶えていませんが、少年の私はひとりはだしになって摩擦音を確かめながら、晴れた日の砂の上を歩いたり走ったりしたことでした。岸辺の山には点てんと赤いつつじが咲いていました。
くぐなりの砂については、何人かの学者が研究されたようです。私には学術上のことは何もわかりませんが、もう一度ぜひ行ってみたいと願っています。
―一九六三・八・二六―
コメント