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からくわ民友新聞 唐桑につながるもの2
1963(昭和38)年3月20日(水) 唐桑につながるもの2 本紙創刊号の「唐桑領歌」で、私は”唐桑は祖父が出生の地”と書いた。唐桑と私を結びつけるもろもろのうちで最も重要なのは、この血のつながりであろう。 祖父は千葉の家の生まれで、幼いころ養子にきた... -
からくわ民友新聞 唐桑につながるもの1
1963(昭和38)年3月15日(金) 唐桑につながるもの1 私の家が火事で焼け失せたのは、私が生まれた前後の事情から推して、明治三十六年の十二月頃でもあったらしい。原因は子どもの焚火だと老人たちはいい、近所をはばかる口ぶりではあったが、はっきりした... -
三陸新報 小金井手帳12
1963(昭和38)年5月24日(金) 小金井手帳⑫ ⑫ 去年の春、うぐいすの声もひばりのさえずりさえもついに聞けなかったことを、私は嘆くような調子で短文に綴った。もうこのあたりで野天の声は聞けないものと観念していた。 ところは、今年はどうだろう。... -
三陸新報 小金井手帳11
1963(昭和38)年5月17日(金) 小金井手帳⑪ ⑪ さきに、伊藤武君にもらった二冊の「詩歌」について書いたとき、白日社の歌人に和田山蘭の名をあげたが、和田氏は若山牧水の「創作」の人であったことに、あとで気がついたので、このあやまりを訂正する機会を... -
三陸新報 小金井手帳10
1963(昭和38)年4月18日(木) 小金井手帳⑩ ⑩ 昭和二十五年の七草の日にこの家にこして来てからというもの毎年三月の半ばを過ぎると、ひばりは陽春を告げる鳥で、にぎやかなさえずりがほとんど一日じゅうまぶしい空から降りこぼれて来た。 ある朝、... -
三陸新報 小金井手帳9
1963(昭和38)年4月17日(水) 小金井手帳9 ⑨ これも話はややさかのぼるが小金井警察署桜町駐在所の今川武司巡査は、去年の十一月に警視総監賞を受けた次第を聞いて、わたしは感動した。 三年前に渋谷署から転勤してきて間もなく、受持区域の関野町... -
三陸新報 小金井手帳8-2
1963(昭和38)年4月13日(土) 小金井手帳8ノ2 8ノ2 惜しいかな、十五年の五月、一日中走り回った銀さんは急性肺炎でたおれ、医師の治療や周囲の人たちの祈りも空しく、一週間後に息をひきとった。四十五才の若さであった。 この年、ひいき客の岩... -
三陸新報 小金井手帳8-1
1963(昭和38)年4月12日(金) 小金井手帳8ノ1 8ノ1 もうひと月ばかり前のことになるが、去る二月二十八日の朝近くの空で、時ならぬ花火の音がした。きけば、新しくできる仮称・小金井駅の起工式が、中央線に近い畑の中で挙げられたとか。 武蔵小... -
三陸新報 小金井手帳7
1961(昭和36)年10月22日(日) 小金井手帳7 7 三百年の伝統をもつといわれる小金井の栗が、この秋は十年ぶりで、かなりの収穫が見込まれているらしい。 といっても、必ずしも豊作というわけではなく、先年、クリタマバチが発生して壊滅状態になっ... -
三陸新報 小金井手帳6
1961(昭和36)年10月8日(日) 小金井手帳6 遠藤君!ぼくの家でもやっと電話がひけたよ。〇二三ー八局の〇四五三番だ。鉄筋コンクリート二階建ての小金井電報電話局ができたのだ。 開局は八月六日の午前零時だったが、去年の八月に共同電話を申し込んでお...