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三陸新報 小金井手帳5-2
1961(昭和36)年9月3日(日) 小金井手帳5-下 (5)下 あくる三十二年には唐桑中学校と白山小学校の校歌を書いた。三十二年の三月には津谷中学校のができ、九月には作曲をされた東京大学の末広恭雄教授と唐桑を訪れた。 にもかかわらず、大島の記念碑の... -
三陸新報 小金井手帳5-1
1961(昭和36)年9月2日(土) 小金井手帳5-上 (5) 上 大島中学校の校歌制定記念碑の除幕式は、開校記念日をぼくして四月十五日の午後一時半から行われたが、あいにくの雨だったという。十六日の本紙の写真では、誰かが長靴にこうもりがさをさして碑に... -
三陸新報 小金井手帳4
1961(昭和36)年8月24日(木) 小金井手帳4 (4) それは昭和三十年のころであったらしい。季節は秋で、しのぎやすい気候であった。 昭和二十六年の夏以来療養生活を続けていた私は、その日も病院から帰ると、板の間のちゃぶ台を前に、一人で昼飯を食べ... -
三陸新報 小金井手帳3
1961(昭和36)年8月24日(木) 小金井手帳3 (3) 私が歌人熊谷武雄の名をはじめて知ったのは、水産学校のころ、一年上の伊藤武君にもらった二冊の「詩歌」からであった。何度か読み返されたらしいバックナンバアではあったが、表紙を開くと、第一ページ... -
三陸新報 小金井手帳2
1957(昭和32)年12月7日(土) 小金井手帳(下) (下) たしか九月二十七日だったと思う。夕方、久かたぶりに銀座へ出かけた。「ろばの会」の第一回発表会をのぞいてみようと思いたったのだ。一念発起というわけか。 「ろばの会」は、磯部とし、宇賀神... -
三陸新報 小金井手帳1
1957(昭和32)年12月6日(金) 小金井手帳(上) (上) ーーブジツイタ、クモヒトツナシ、リョウコ。 だしぬけに、岩手県へ行ってきたいといいだし、ゆうべ、ひとりで上野をたった三女から、千厩発の電報がきた。こっちは快晴の十時半ころだった。 ほ... -
講談社の絵本ゴールド版113 くもになったぱん
1963(昭和38)年4月号下 くもになったぱん 水上不二 ①めりーさんは、ぱんを つくりました。おなべに いれて ふくらませました。 ②ぱんは。ずんずん おおきく なっていきました。 ③めりーさんは、てかごを さげて。いちばへ かいものに でかけ... -
講談社の絵本ゴールド版112 かしこいこじか
1963(昭和38)年4月号上 かしこいこじか 水上不二 とおい みなみの くにに、かんちーると いう こじかが いました。あるひ、みずを のみに、かわの そばへ いきました。 すると、みずの うえに、ぽっかりと きの ぼうが うかんで いま... -
講談社の絵本ゴールド版109 金のりんご
1963(昭和38)年2月号下 金のりんご 水上不二 「金のりんご」は、アイルランドの詩人イェーツの編んだ「アイルランド童話集」の中の「コン=イーダの話」、またの名「アーン湖の金のりんご」によったもので、大昔、アイルランドが、西方の幸福の島と... -
講談社の絵本ゴールド版103 ふしぎなてーぶるかけ
1962(昭和37)年11月号下 ふしぎなてーぶるかけ 水上不二 ぶーつは、のはらの なかの ちいさな いえに、おかあさんと ふたりで すんでいました。 びゅう、ぴゅうと きたかぜの ふく、さむい ひでした。「ぶーつや。ものおきへ いって、こむ...