-
地方紙への寄稿
三陸新報〈学芸〉九年ぶりの旅5-2
1956(昭和31)年12月7日(金) 九年ぶりの旅5 中学校は明日の準備に、教師も生徒もかいがいしく働いていた。小学校の小山校長がきて、自分の学校のことのように何かと手伝っていた。美しいと思った。 外部との折衝にあたっていたのであろう。小松校長が... -
地方紙への寄稿
三陸新報〈学芸〉九年ぶりの旅5
1956(昭和31)年12月6日(木) 九年ぶりの旅5 家について驚いたのは台所の土間がほとんど板敷に変り、子どものころ未明から十三うすも麦をつかされた石うすが姿を消していることであった。“かるうす”と呼んでいたが、あれをどう処理したかをきかずに帰っ... -
地方紙への寄稿
三陸新報〈学芸〉九年ぶりの旅4
1956(昭和31)年12月2日(日) 九年ぶりの旅4 4 夜はみんなの眠るときだ。だれもがベットに横たえて夜行列車の朝を迎えるようになるのは、いつのことであろう。でも、ここで、寝台車は金持や一部の特権階級の占有物であってはならないなどとひらきなおる... -
物語
講談社の絵本ゴールド版70 いわしをみつけたぽろとかろ
1961(昭和36)年 いわしをみつけた ぽろとかろ 水上不二 ①よがあけました。こいぬの ぽろと かろは、おおよろこびで おもてへ とびだしました。ぽんぽんと、すなの うえを かけわりました。ころころと もつれあいました。ぽろが、ぱっと か... -
地方紙への寄稿
三陸新報〈学芸〉九年ぶりの旅2、3
1956(昭和31)年12月1日(土) 九年ぶりの旅2,3 あくる二十三日は、東京駅に接続する鉄道会社の六階に宮城県の事務所を訪ね、ついで文部省へくるまを走らせた。十一月六日の会に講師派遣のことを確かめるためであった。ところが、それについての書類がま... -
物語
「百万円のばらの花」
「百万円のばらの花」 水上不二 幼年クラブ 1949(昭和24)年五月号 キヘイじいさんは、花ずきでした。いろいろな花をあつめて、花の中にいました。うちのなかもそとも、花でいっぱいでした。 なかでもばらがだいすきで、きいろいばら... -
地方紙への寄稿
三陸新報〈学芸〉九年ぶりの旅1
1956(昭和31)年11月30日(金) 九年ぶりの旅1 十月二十二日の暁であった。私は床に入って、肩こりを休めていた。 八時過ぎであったろうか。誰かの声が玄関ーといっても、たった一坪しかないところへ本棚がのさばり出ているといったみじめさだがーで、... -
作者
水上不二
水上 不二(みずかみ ふじ、男性、1904年(明治37年)1月10日 - 1965年(昭和40年)3月31日)は、日本の童謡詩人、童話作家、作詞家。 来歴宮城県本吉郡大島村(現在の気仙沼市)字長崎にて父・佐助、母・あやの の次男として生まれる。 1918年(大正7年)... -
作者
昆虫列車とは?なぜこの作品をつくることになったのか
『昆虫列車』とは、昭和12年に水上不二が主宰し、まど・みちおや米山愛紫らと創刊した同人誌です。昆虫列車のスタートが第1集である『昆虫列車』であり創刊号です。 『昆虫列車』の概要を知るためには、『昆虫列車』第1集p3とp12『昆虫列車点描』、最終裏... -
詩
昆虫列車第1集 P2 巻頭詩
昆虫列車第1集 P2 昆虫列車 はしれ、はしれよ、昆虫列車 けふの日和に、季節の風に。 ベルを鳴らして、お旗をあげて、 蒔いて行くのはお花の種子か。 はしれ、はしれよ、昆虫列車、 遠いかすみへ、スバルの星へ。 草のトンネル、もひとつくぐりや、 雲が...