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三陸新報〈学芸〉九年ぶりの旅6-2
1956(昭和31)年12月14日(金) 九年ぶりの旅6-2 研究討議がはじまった。司会の近藤校長は長老の坐りであった。限られた時間を急ぐでもなく、たくみに議事を進行した。ことばのはしばしに、かれ独特のアクセントがあった。 プログラムは“講演ならびに指... -
三陸新報〈学芸〉九年ぶりの旅6
1956(昭和31)年12月13日(木) 九年ぶりの旅6 六日の中学校は、研究会にかかわる人びとが肩を触れあっていた。職員室の椅子には小山良治先生がおられた。廊下で村上栄四郎先生を発見し、ついで小松庄吉先生にお目にかかった。旧知のだれかれのなかには歌... -
三陸新報〈学芸〉九年ぶりの旅5-3
1956(昭和31)年12月8日(土) 九年ぶりの旅5 ともあれ、東京あたりでもちょっと見られないようなよい講堂であった。小学校様相も一変してむかしの面影はなかった。ていねいに見てまわる時間のないのが心残りであった。 小松校長と連れだって、もとの村... -
三陸新報〈学芸〉九年ぶりの旅5-2
1956(昭和31)年12月7日(金) 九年ぶりの旅5 中学校は明日の準備に、教師も生徒もかいがいしく働いていた。小学校の小山校長がきて、自分の学校のことのように何かと手伝っていた。美しいと思った。 外部との折衝にあたっていたのであろう。小松校長が... -
三陸新報〈学芸〉九年ぶりの旅5
1956(昭和31)年12月6日(木) 九年ぶりの旅5 家について驚いたのは台所の土間がほとんど板敷に変り、子どものころ未明から十三うすも麦をつかされた石うすが姿を消していることであった。“かるうす”と呼んでいたが、あれをどう処理したかをきかずに帰っ... -
三陸新報〈学芸〉九年ぶりの旅4
1956(昭和31)年12月2日(日) 九年ぶりの旅4 4 夜はみんなの眠るときだ。だれもがベットに横たえて夜行列車の朝を迎えるようになるのは、いつのことであろう。でも、ここで、寝台車は金持や一部の特権階級の占有物であってはならないなどとひらきなおる... -
講談社の絵本ゴールド版70 いわしをみつけたぽろとかろ
1961(昭和36)年 いわしをみつけた ぽろとかろ 水上不二 ①よがあけました。こいぬの ぽろと かろは、おおよろこびで おもてへ とびだしました。ぽんぽんと、すなの うえを かけわりました。ころころと もつれあいました。ぽろが、ぱっと か... -
三陸新報〈学芸〉九年ぶりの旅2、3
1956(昭和31)年12月1日(土) 九年ぶりの旅2,3 あくる二十三日は、東京駅に接続する鉄道会社の六階に宮城県の事務所を訪ね、ついで文部省へくるまを走らせた。十一月六日の会に講師派遣のことを確かめるためであった。ところが、それについての書類がま... -
「百万円のばらの花」
「百万円のばらの花」 水上不二 幼年クラブ 1949(昭和24)年五月号 キヘイじいさんは、花ずきでした。いろいろな花をあつめて、花の中にいました。うちのなかもそとも、花でいっぱいでした。 なかでもばらがだいすきで、きいろいばら... -
三陸新報〈学芸〉九年ぶりの旅1
1956(昭和31)年11月30日(金) 九年ぶりの旅1 十月二十二日の暁であった。私は床に入って、肩こりを休めていた。 八時過ぎであったろうか。誰かの声が玄関ーといっても、たった一坪しかないところへ本棚がのさばり出ているといったみじめさだがーで、...