小金井手帳– tag –
1957(昭和32)年12月6日から「三陸新報」に掲載された寄稿文である。
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地方紙への寄稿
三陸新報 小金井手帳12
1963(昭和38)年5月24日(金) 小金井手帳⑫ ⑫ 去年の春、うぐいすの声もひばりのさえずりさえもついに聞けなかったことを、私は嘆くような調子で短文に綴った。もうこのあたりで野天の声は聞けないものと観念していた。 ところは、今年はどうだろう。... -
地方紙への寄稿
三陸新報 小金井手帳11
1963(昭和38)年5月17日(金) 小金井手帳⑪ ⑪ さきに、伊藤武君にもらった二冊の「詩歌」について書いたとき、白日社の歌人に和田山蘭の名をあげたが、和田氏は若山牧水の「創作」の人であったことに、あとで気がついたので、このあやまりを訂正する機会を... -
地方紙への寄稿
三陸新報 小金井手帳10
1963(昭和38)年4月18日(木) 小金井手帳⑩ ⑩ 昭和二十五年の七草の日にこの家にこして来てからというもの毎年三月の半ばを過ぎると、ひばりは陽春を告げる鳥で、にぎやかなさえずりがほとんど一日じゅうまぶしい空から降りこぼれて来た。 ある朝、... -
地方紙への寄稿
三陸新報 小金井手帳9
1963(昭和38)年4月17日(水) 小金井手帳9 ⑨ これも話はややさかのぼるが小金井警察署桜町駐在所の今川武司巡査は、去年の十一月に警視総監賞を受けた次第を聞いて、わたしは感動した。 三年前に渋谷署から転勤してきて間もなく、受持区域の関野町... -
地方紙への寄稿
三陸新報 小金井手帳8-2
1963(昭和38)年4月13日(土) 小金井手帳8ノ2 8ノ2 惜しいかな、十五年の五月、一日中走り回った銀さんは急性肺炎でたおれ、医師の治療や周囲の人たちの祈りも空しく、一週間後に息をひきとった。四十五才の若さであった。 この年、ひいき客の岩... -
地方紙への寄稿
三陸新報 小金井手帳8-1
1963(昭和38)年4月12日(金) 小金井手帳8ノ1 8ノ1 もうひと月ばかり前のことになるが、去る二月二十八日の朝近くの空で、時ならぬ花火の音がした。きけば、新しくできる仮称・小金井駅の起工式が、中央線に近い畑の中で挙げられたとか。 武蔵小... -
地方紙への寄稿
三陸新報 小金井手帳7
1961(昭和36)年10月22日(日) 小金井手帳7 7 三百年の伝統をもつといわれる小金井の栗が、この秋は十年ぶりで、かなりの収穫が見込まれているらしい。 といっても、必ずしも豊作というわけではなく、先年、クリタマバチが発生して壊滅状態になっ... -
地方紙への寄稿
三陸新報 小金井手帳6
1961(昭和36)年10月8日(日) 小金井手帳6 遠藤君!ぼくの家でもやっと電話がひけたよ。〇二三ー八局の〇四五三番だ。鉄筋コンクリート二階建ての小金井電報電話局ができたのだ。 開局は八月六日の午前零時だったが、去年の八月に共同電話を申し込んでお... -
地方紙への寄稿
三陸新報 小金井手帳5-2
1961(昭和36)年9月3日(日) 小金井手帳5-下 (5)下 あくる三十二年には唐桑中学校と白山小学校の校歌を書いた。三十二年の三月には津谷中学校のができ、九月には作曲をされた東京大学の末広恭雄教授と唐桑を訪れた。 にもかかわらず、大島の記念碑の... -
地方紙への寄稿
三陸新報 小金井手帳5-1
1961(昭和36)年9月2日(土) 小金井手帳5-上 (5) 上 大島中学校の校歌制定記念碑の除幕式は、開校記念日をぼくして四月十五日の午後一時半から行われたが、あいにくの雨だったという。十六日の本紙の写真では、誰かが長靴にこうもりがさをさして碑に...
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