九年ぶりの旅– tag –
1956(昭和31)年11月30日から「三陸新報」〈学芸〉に連載された寄稿文である。
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地方紙への寄稿
新聞に掲載された寄稿文(三陸新報)「九年ぶりの旅」「小金井手帳」一覧
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地方紙への寄稿
三陸新報〈学芸〉九年ぶりの旅9
1956(昭和31)年12月27日(木) 九年ぶりの旅9 9 マッチ箱を並べたような街並が朝の光に見えてきた。東京と名のつく圏内へはいったのだ。あたりは灰色にくすんで、太陽もどんよりしていた。おしつけられるような気持で、上野駅から山手線に乗り換えた。... -
地方紙への寄稿
三陸新報〈学芸〉九年ぶりの旅8-2
1956(昭和31)年12月26日(水) 九年ぶりの旅8-2 大島に帰ると、高井の叔母の家を訪ねてそそくさと生家にもどった。知りあいや近所じゅうからの心づくしの贈り物がとどいてた。何とお礼をいってよいかわからない。ごく近くの数軒をあいさつして回った。 ... -
地方紙への寄稿
三陸新報〈学芸〉九年ぶりの旅8
1956(昭和31)年12月25日(火) 九年ぶりの旅8 いよいよ八日になった。近藤家を辞して、小山氏と道を急いだ。鉄路をまたぐとき、むこうでは駅舎の建造が朝からいそがしそうであった。どこかに出張しているという菊田隆一氏会う由もなかった。 気仙沼でバ... -
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三陸新報〈学芸〉九年ぶりの旅7-2
1956(昭和31)年12月20日(木) 九年ぶりの旅7-2 鈴木軍太郎氏がやってきた。これが路上でも会ったのなら、お互いにそのまま行き過ぎたであろう。しばし顔を見合って、少年の日に視点を求めていた。かれの勤勉と努力はその家をより豊かにしたがPTAの会... -
地方紙への寄稿
三陸新報〈学芸〉九年ぶりの旅7
1956(昭和31)年12月19日(水) 九年ぶりの旅7 いいようのない悔いのようなものが霧のようにふきあげてくる。感動のあとできまっておこる心象風景だ。何がなし、空虚でさびしい。 でも、きのうの雨でコンクリートの天水桶があふれている七日の朝だ。高井... -
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三陸新報〈学芸〉九年ぶりの旅6-2
1956(昭和31)年12月14日(金) 九年ぶりの旅6-2 研究討議がはじまった。司会の近藤校長は長老の坐りであった。限られた時間を急ぐでもなく、たくみに議事を進行した。ことばのはしばしに、かれ独特のアクセントがあった。 プログラムは“講演ならびに指... -
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三陸新報〈学芸〉九年ぶりの旅6
1956(昭和31)年12月13日(木) 九年ぶりの旅6 六日の中学校は、研究会にかかわる人びとが肩を触れあっていた。職員室の椅子には小山良治先生がおられた。廊下で村上栄四郎先生を発見し、ついで小松庄吉先生にお目にかかった。旧知のだれかれのなかには歌... -
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三陸新報〈学芸〉九年ぶりの旅5-3
1956(昭和31)年12月8日(土) 九年ぶりの旅5 ともあれ、東京あたりでもちょっと見られないようなよい講堂であった。小学校様相も一変してむかしの面影はなかった。ていねいに見てまわる時間のないのが心残りであった。 小松校長と連れだって、もとの村... -
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三陸新報〈学芸〉九年ぶりの旅5-2
1956(昭和31)年12月7日(金) 九年ぶりの旅5 中学校は明日の準備に、教師も生徒もかいがいしく働いていた。小学校の小山校長がきて、自分の学校のことのように何かと手伝っていた。美しいと思った。 外部との折衝にあたっていたのであろう。小松校長が...
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